こんちゃ~神社マニア、やんちゃマダムでございます。
常陸太田市に鎮座されている「馬場八幡宮」をお詣りさせていただいたのだ。御朱印は左馬!幸運の御朱印なのだよん♪
▶鎮座地
茨城県常陸太田市馬場574
ざっくりすぎるご由緒
1056年(天喜4年)、源頼義が、熊野社の境内に大石2個を置き、石水八幡大神を祀って任務遂行を祈願。1060年、熊野社を東側へ奉遷して、そのあとへ八幡宮を鎮斎した、とされている。
社殿が修営されたのは1097年のこと。1161年には、佐竹氏が社殿を造営し、代々崇敬されたそうだ。佐竹氏は、城内に、鶴岡八幡宮の御分霊を祀っていたのだとか。
佐竹氏が水戸城の城主になると、御分霊を水戸に鎮斎。現在の「水戸八幡宮」だ。佐竹氏が秋田へ移動になると、秋田にも御分霊を祀った!というから、かなり厚い崇敬を受けていたと想像する。
境内の様子
チリンチリン~♪風が吹くと揺らめく風鈴。その風情があるな~その隣には巨峰がゆらりゆらり~常陸太田市の特産品だもんな~道路を挟んだ向こうは、果樹園だし。
拝殿に掲げられた絵画。右の絵は歴史を背負って味を出しているが、左の絵は比較的新しい。崇敬者が奉納されたのか、又は修復されたのかもしれない。
祀られている神様
息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
比咩大神(ひめのおおかみ)
誉田別命は応神天皇のこと。息長足比売命は、応神天皇のお母さんだ。神功皇后とも言われる。パワフルウーマンで、誉田別命を妊娠しながらも、いざ!韓国へ!という神様なのだ。で!帰ってきてから出産した、ということが古事記に書かれている。
比咩大神ってどちら様?ってことなのだが、、、ウィキペディアによると、特定の神様の事ではないらしい。神社の主祭神の、妻や娘など、女神をさすのだそう。ただ、これは神社によっても違いがあり、大分県の宇佐神宮では、宗像三女神を比咩大神としている。
八幡さまは古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきました。全国約11万の神社のうち、八幡さまが最も多く、4万600社あまりのお社(やしろ)があります。宇佐神宮は4万社あまりある八幡さまの総本宮です。
開運招福、交通安全、商売繁盛、厄除け、武運長久など。
境内の神社
大杉神社(猿田彦命)
天満神社(菅原道真公)
八坂神社(素戔嗚尊)
雷神社(稚雷命)
熊野神社(速玉雄命、伊邪那美命、事解男命)
白山神社(大己貴命)
稲荷神社(保食命)
松尾神社(大己貴命)
今も残る!創建当時の岩
馬場八幡宮始まりの場所がここ!源義家が、石水八幡大神の御分霊を、平らな大きな岩2枚の上に置いて、任務遂行を祈願した、とされている場所なのだ。今も当時の岩が残っているって、相当貴重だわよね~
神社の始まりって、こーゆー感じなんだね~それから、社殿を造営して、、、ってなるのか~
御朱印
宮司さんは常駐されていないのだが、拝殿に書置きが置いてあった。心遣いに感謝幸せ雨あられ💛
え~っと、、、馬が裏返ってるんですけどーー???
これは「左馬」といって、縁起がいい漢字なのだ。
将棋の駒で有名な天童市の観光ガイドによると、、、
「うま」は反対から読むと「まう」。これは、「舞」を想像させることから、福を招く縁起の良い漢字なのだそう。
そのほかにも、このようなことが書かれていた。以下、引用する。
-
「馬」の字の下の部分が財布のきんちゃくの形に似ています。きんちゃくは口がよく締まって入れたお金が逃げていかないため、古来から富のシンボルとされています。
-
馬は人がひいていくものですが、その馬が逆になっているため、普通とは逆に馬が人をひいてくる(=招き入れる)ということから商売繁盛に繋がるとされています。
-
馬は左側から乗るもので、右側から乗ると落ちてしまいます。そのようなことから、左馬を持つ人は競馬に強いといわれています。
御朱印を頂くだけで、こーんなにハッピーなことがあるなんてっ。書いてくださった宮司さん、なんて素敵な方なんだろう♪
アクセス
鳥居の右側へ続く道路を進んでいくと、拝殿横に駐車場があるぞ。
*参考 茨城県神社誌